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旅の出来事やライブの日々

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旅の記録や印象に残った出来事を綴ります。

2009年12月26日 Delhi → Amritsar

再び、インドに辿り着いた。

25日の夜、デリーに降り立ち朝早い列車でアムリトサルという、スィク教の聖地へ。
Golden Temple(黄金寺院)内にある巡礼宿。そこはベッドと共同のバスルーム、また、朝食と夕食が振る舞われるという良心的なシステムになっていて。
そこに一日お世話になった。

ライトアップされたGolden Templeは、今まで見たどんな夜景よりも美しく。鳴り響く聖歌の中、水面に浮かび上がるその様は、スィク教徒の教えのように、 信者でなくても包み込んでくれる大きさがあった。

そして改めて、インド人の自由さ、容赦のなさ、純粋さ、優しさには一日何回も驚かされている。

6時間の列車。席が満席で、外人のためのシートを購入し乗車。といっても周りはほとんどがインド人。

ぼんやりと車窓から外の景色を見てると、紅茶のティバッグとお湯の入ったポット、クッキーが運ばれてきた。へぇ、こんなサービスがあるんだ。と感心していると次にカレーが。
このシートはこういうサービスがあるというのをそこで初めて知ることになった。食後にはまた紅茶が。

初めて乗ったけれども最高の乗り心地だった。窓からはどんどん増して行く田園風景。

私は車窓からの景色が大好きで、特に田んぼが見えてくると気持ちがあたたかくなる。
それは育った町が田んぼだらけで、16号のガードに腰掛け田んぼを見下ろし、夕日がそこに映るのが好きだったことを思い出すからかもしれない。

アムリトサルのチャパティ

写真は、アムリトサルで食べたチャパティ。チヂミのインド版みたいで、日本で食べるそれとは違い、しっかりとスパイシーな味がついていてかなりのヒット商品。

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2009年12月27日 アムリトサルでのこと

まず、すごく珍しがられ、通り過ぎる人全員が私を振り向く。
でもそれは前回のインドの田舎町で感じたような腫れ物に触るような感じではなく、不思議なほどの友好さで、何度も「写メ撮らせて!」と言われた。

芸能人になった気分だった。

アムリトサルはスィク教の聖地なので、ターバンを巻いた私たちの思い描く、いわゆる"インド人"がたくさんいる。
彼らは、見た目は怖いけれど、話しかけるとものすごく優しく、そしてとても男らしく勇ましい印象を受けた。

黄金寺院は、正面に4つの門があり。それは、異なる宗教の参拝者でも受け入れますという教えの表れだそう。そして、入口から寺院への道は、階段で降りるような形になっており。
それも、普段よりも一段下がり、謙虚に。という意味が込められているという。

そこは、聖歌が絶え間なく鳴り響き、真ん中に建てられたまさしく黄金の寺院が水の中に浮かび上がっている。
入る前に靴を預け、入口の手前にある足湯のようなところで足を清め、頭には布をかぶり隠さなくてはいけないのだけれども、この少しの規律のおかげで、信者ではない人たちも神聖な気持ちになることができる。

実際、入口は4つだけでなく、他にもいくつかあり。そこを行き来する人たちは、ここに来れたことに感謝するように、地面に頭をつけたり、手のひらを地面に触れてから自分の頭に触る、というようなそれぞれの形で 祈りを捧げていたのが印象的だった。

また、忘れてはいけない大切なキーワード。

この場所は、インド独立運動中、最悪の事件と呼ばれる”アムリトサル虐殺事件”の現場であり。
ローラット法という、インドでのイギリス人の為の法律に反対するインド人らがこの場所に集まり抗議の集会を開いている中、イギリス軍の准将が独断で無差別射撃を命じた事件。

そこには非武装の、女性や子供を含む多くのインド人が集まっており、逃げ惑う彼らの背中に容赦なく発砲を命令し、10分という短い間に1500人以上もの死傷者を出したと言われている。

ゴールデンテンプル

写真は、アムリトサルの黄金寺院(ゴールデンテンプル)。

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2009年12月27日 Amritsar → phatankot

とても居心地が良いけれど、人々の目が痛いのと、黄金寺院以外に見るところがないという理由で、一日早くダラムサラへ向かうことにする。

手に入れたチケットを持ち、大好きな列車の旅。

しかしひとつ心配なことが。
私が手に入れたのは巡礼宿入口で購入した19Rs.の一般車両で、列車が来た途端に大勢の乗客が詰め込まれるように乗る車両。私はそれに初めて乗る。

12:30の列車を待つ間、広々とした野外の待合所に座り日記を書いていると、やっぱりみんなコチラを見ている。
そしてやっぱり何人かに写真を撮られ。学生らしき男の子達に頼まれ順番に写真を撮っていると、周りの人がみんな微笑ましそうに見ていた。
一通り終わりまた日記を書いていたら、背後に気配を感じ。振り向くとそこにはさっきまで前の方に立ちこちらをみていた青ターバンのおじさんだった。
思い切り覗き込むその好奇心に笑ってしまった。見せてと言われてみせる。”日本語だよ、わかる?”と聞くと、”大体ね。”と言い残しどこかへ行ってしまった。

親切な赤ターバンの駅員さんがこのホームに着くよとわざわざ確かめて戻って来て教えてくれ、安心してホームへ。
そこでかわいいインド人の女の子とその一家と話していると、いよいよ列車が。お母さんの顔色が変わり、"さぁ行くわよ。着いて来なさい。"と構える。
"はい!"と答え、列車が来るのを見ていると、窓にはさっきまでここにいたお父さん(noターバン)が。いつの間にか先回りして席を取ってくれていたらしく。笑ってしまった。さすがインド人。

お母さんに引率され、怒濤の乗り込みに成功。でもすごい人で、折角お父さんが取ってくれていた場所も2席を残して他の人に座られてしまった。

お母さんと子ども達に座ってもらい、お父さんと立って乗車。そこでも色んなインド人に話しかけられ、隣にいた青年は、近くの人にちょっと詰めてと言ってくれ、 すこし場所を空けてもらい、私を座らせてくれた。

3時間の乗車。パタンコートという駅に近づくほど、周りのみんなが口々にもうすぐだよ、と教えてくれ、途中から隣に座っていた小学生くらいの男の子は、駅で家族と別れる私に さりげなくずっと着いていてくれ、バス停まで送ってくれた。

お世話になった一家

写真は、お世話になった一家。

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